最近、長い文章を書くのが嫌いになったかも。
昨日は九州北部にかなり強い雨が降ったようだが、佐賀出張にはこれと言って支障はなかった。
月曜日以来、日本語研修を久し振り(たった中3日だが、その間15時間の研修が行われている。昨日私が到着するまでの時間を含めれば、プラス3時間。)に見ることとなった。到着した時、下のクラスは音便変化(「…っています」や「…んでいます」)を扱っていた。
音便変化は、我々日本人の多くにとって感覚的なものでしかない。言いやすいように言えば必然的に変化してしまうものであって、どのような条件でどのような音便変化が起こるかなんてことを理論的に説明できるのは、恐らく一部の国語教師だけだろう。
そんな音便変化だが、飲み込みの早い人は既にコツを飲み込んでいた。勿論、自由自在に使いこなせるというわけではないんだが、自分が言い間違えた時や仲間が言い間違えた時に、すぐ修正できるようになっていた。「行きて」と言ってしまってから「行って」と言い直したり。
彼らは今のところ日本語に対して、母語話者が有する「今の何か変」という感覚は持ち合わせていないはずで、日本人が無意識にやっていることを、どういう時に促音(っ)や撥音(ん)になるのかを考えながらやっているのだから、もしかしたらその法則性を見い出す可能性は、そこらの日本人より高いかもしれない。
上のクラスは、元々日本語学習歴がある人たちばかりなので、それなりに語彙も多い。講師が教えた語に対して、自分の知っている語が同義語かどうかを確認したりとか、かなり積極的で活発な研修になっていた。
私は最後の総仕上げの段階でちょっとお手伝い。彼らの日本語での会話の相手役になってあげた。シチュエーションは、今後彼らが遭遇するであろう場面。レッスンの様子を見ていてかなりイケる連中だと思っていたのだが、まだ直球なら打てるけれども変化球が来ると見逃し三振しちゃう感じ。
ところで、先日話題にした「日本語だけで教えることに対するこだわり」についてなんだけど。昨日行った時には随分様変わりしていて、結構ポイントポイントで英単語を交えていた。あくまで単語レベルでだけど。
後で事情を聞いてみると、段々時間的余裕がなくなってきて、理解を促すためにやむを得ずそうなってしまったと。本当はやはりそうはしたくなかったらしく、どうしても彼らが英語に流れてしまう場面が増えてしまったとのこと。
ただ、オブザーバーとして彼らを見る限り、基本的には彼らは果敢に日本語にチャレンジする姿勢を見せており、私にはその彼らの理解を促すために英語を用いることがあながちいけないことだとは思えなかったりする。
実は日本人に外国語を教えるネイティブスピーカーの講師の中にも、特に全くの初心者に対しては、適宜日本語を織り交ぜた方が学習効果が上がると断言する人もいる。例えば、木曜日に代講を依頼したカナダ人講師がそう言っていたし、過去に会った自称7ヶ国語OKと言っていたイタリア人語学講師(日本語も達者だったし、会話能力に限って言えばウソではなさそうであった。)も、初心者に新しい言葉を教えるには、その初心者の母語を適宜用いていく必要があると強く訴えていた。
ただ、日本に来た外国人に対して日本語を教える場合、一筋縄でいかない問題がある。
今回のように、受講者の全てが英語圏から来ているのならば、いざって時は英語で問題ないのだが、国内での日本レッスンのニーズは、非英語圏から来た人たちからのものの方が多く、具体的には中国、韓国、東南アジアといったところからの来日者に対するものの方がずっと多いらしい。しかも、同じ教室の中の受講者の出身国が複数にわたることもザラ。そうなると英語が必ずしも有効だとは限らないし、アジアから来た人たちの様々な母語をある程度マスターした日本語講師…ってのも難しい話だろう。
そうなると、結局は必然的に日本語オンリーということにならざるを得ないし、そういう前提で今まで各自がレッスンスタイルを確立してきたんだろうと思う。(長くなったので、また。)
テーマ:日本語教育/異文化コミュニケーション│ジャンル:学校・教育
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│2008/08/23(土)18:16






